2011年7月13日水曜日

『大前研一 敗戦記』

図書館で借りた、『大前研一 敗戦記』(大前研一著、文芸春秋)を読む。

『大前研一 敗戦記』

実は大前研一の本は読んだことがなかった。というのも、以前、都知事選に立候補した時に、評論家が政治に打って出るなんて胡散臭いと思い、それ以降あまり良い印象を持っていなかったから。

それから15年近く経ったが、相変わらず精力的に活動しているし、雑誌のインタビューなどではそれなりにいいこと言っているしと思ったので、アマゾンにてレビューを参考に著作を探してみた。

そうしたら、例の選挙について書かれた著作があり、さらにレビューの評価もかなり高かったので借りてみた。

本人としてはマッキンゼーでやることはやった、でも日本の将来は危うい、それを変革してくれる政治家をバックアップしたいと思っていたが、実際にフォローした政治家たちは何もしてくれなかった。ならば、自分で変えるしかないと思い立候補。

当初はマッキンゼーの調査でも当選の可能性があるという結果もあり、さらに都会は無党派層が多いから有利と思ったが、青島幸雄、岩国哲人、ドクター中松と無党派層候補が乱立。また、いくら政策で訴えても大手マスコミが取り上げてくれず、泡沫候補の一角みたいになってしまう。

結局は落選してしまうが、その後、親友の加山雄三から、「明治維新のときは皆が変えようと思って変えた、そして後になってあれが維新だったということになった。でも、あんたのは全部自分が危機を見つけて自分で解決策まで示し、自分で平成維新といっている。みんなの気持ちを考えず、だれも参加していない。そんなものは維新じゃない。そんなのピエロだ」と看破され、変えるべきは国ではなく、その前に自分自身だったと気づかされてしまう。

こんな調子で、日本を変えたい自分の思いと、落選にいたるまでの心境の変化、そして何も変わらない日本への歯がゆさを包み隠さず書いている。

ただ、もし著者が当選していても議会の壁にぶつかり大きな変革は出来なかったと思う。一方で、著者の考えに賛同している人が政治家を志し、それが平成維新ではなく大阪維新の会の橋下知事であり、徐々にだが変化が起こりつつあるのかもしれない。

本著は1995年に書かれているが、その当時から著者はいずれ日本の年金、医療、福祉制度は崩壊するとし、自分よりも若者のために変えたいと切望している。今も著者は一新塾という政策学校を開設して変革を目指している。


今まで散々、日本が変わらないのは政治家ではなく、そういう政治家を選ぶ有権者が悪いと書いてきたが、もし本当にそう思うならば一新塾でもどこでも自分の考えに近いと思う候補者、団体の活動を手伝うなり寄付でもすべきではないだろうかと思ってしまった。すなわち、無投票の人々を馬鹿にしているけど自分は投票しかしておらず自分から変えようとはしていない。すなわち単なる受け身ということ。反省。

今回は政治体験記を読んだが、次は彼の本流である経済に関する著作を読んでみようと思う。







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